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日本基督教団高槻日吉台教会は、プロテスタントのキリスト教会です。

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〒569-1022 大阪府高槻市日吉台二番町3-16

礼拝説教(訣別説教)

「立ち直ることができる 」(横野牧師)

おすすめイメージ 日時    2020年3月29日
     
 受難節 第5主日  復活前 第2主日 
聖書箇所 
ルカ 22章 31 - 34節
賛美歌  讃美歌21 294/301
 
聖歌隊合唱 L.ケルベーニ作曲
      『レクイエム ハ短調』より
       6.Pie Jesu   

説教者  横野朝彦牧師
     (高槻日吉台教会・朝礼拝)

     
 

 ウイルスによる感染は収まる気配なく、不安や恐れが増しています。国によっては、外出禁止令の出されているところがあります。スーパーマーケットの棚が空っぽになった国や都市があります。日本では学校が一斉休校になりましたが、学校給食だけが栄養補給の場であった子どももいます。また非正規の労働者に大きなしわ寄せが行っています。ウイルス感染症は、社会の様々な問題を明るみに出しています。
 目に見えないものへの恐れによって、わたしたちの心までが蝕まれていくように思えます。「ウイルスよりも人が怖い」との声を聞きました。マスクの争奪戦でドラッグストアの店員さんに暴言が吐かれたり、あるいは本当に必要な医療機関や介護施設でマスクや消毒液が足らなくなるといった事態が起こっています。目に見えない不安、恐れによって、人と人との繋がりが断ち切られ、共に集う場も失われています。ドイツのメルケル首相は、3月18日におこなった演説で次のように言っておられます。「わたしたちがどれほど脆弱であるか、どれだけ他の人の思いやりある行動に依存しているか、大規模感染はそれをわたしたちに教えています。」
 10数年前だったでしょうか、鳥インフルエンザが流行したとき、笹村出さんという養鶏家の方が言っておられました。この方は曹洞宗の僧侶でもあります。ケージに入れられた鳥たちは、病気にならないようにとさまざまなワクチンが投与されている。でも、新しい毒性を持ったウイルスに一羽が感染すると、ケージに入れられているので、あっと言う間に感染が広がると指摘しておられました。
 笹村さんは、自然界を消毒して病原菌のいない世界にしようというのは、天に唾を吐く発想だと言われます。わたしたちの周りは、何もかもが便利になりました。わたしたちの周りは清潔で、衛生的です。抗菌グッズと呼ばれるものが出回っています。でも、わたしたちは昔と比べて健康的になったとは必ずしも言うことができません。原因がはっきりしない病気、毒性の強いウイルスなど、どうやらそれは、突然に起こった出来事ではなく、わたしたちの社会が作り出してきたものなのかもしれません。
 東京医科歯科大学におられた藤田紘一郎という先生は、回虫、体のなかに寄生する回虫が専門で有名な方ですが、藤田さんも、微生物を排除した「キレイ社会」がアレルギー病の発症を促進していると言っておられます。
 レイチェル・カーソンさんは、「沈黙の春」という、預言者的な書物を著しました。アメリカのある町で、突然に鳥や牛、羊が病気になって死んでいきます。住民の中にも見たこともない病気にかかり死んでいく人、鳥はさえずらず、恐ろしい沈黙が訪れます。「自然は沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。みんな不思議に思い、不吉な予感におびえた。裏庭の餌箱は、からっぽだった。ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぶるぶる体をふるわせ、飛ぶこともできなかった。春が来たが、沈黙の春だった。」
 1962年、今から60年近く前に書かれたこの本は、まさに現代社会の問題を預言したものでした。この本は、おもに農薬の危険を指摘してのことでしたが、これもキレイ社会の行き着くところなのでしょう。レイチェル・カーソンさんは動物学、また海洋生物学を専門にした人だそうですが、近代文明への警告を、予言的におこないました。それだけではありません。彼女は、「センスオブワンダー」という本のなかで、「人間を超えた存在を意識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくこと・・・わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています」と述べています。
 さて今日は受難節にあたり、ルカによる福音書22章から「ペトロの離反を予告する」というところを読んでいただきました。主イエスの弟子ペトロはここで、「主よ、ご一緒なら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と、主イエスに従う覚悟を口にしています。大げさに聞こえるほどの言い方でありますが、主イエスが受難と復活を予告された時の言葉を受けて、ペトロもそれなりの覚悟で主イエスに従っていたのだろうと思います。
 予告された時の言葉、ルカ9章にはこう書かれています。「『人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。』それから、イエスは皆に言われた。『わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。』」
 ペトロはこの言葉を受けて、「牢に入っても、死んでも」と決意を言い表したのです。しかし、主イエスはペトロの決意にまるで水を差すかのように言われます。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」
 この後、主イエスが逮捕され、主は引いていかれ、大祭司の家に連れて行かれます。ペトロは愛する先生が逮捕されたことから、なんとか後ろをついていきます。22章54節以下に書かれています。ペトロが大祭司の屋敷の中庭に座っていると、一人の女性がペトロをじっと見て、この人もあのイエスと一緒だったと証言したのでした。ペトロはそれを慌てて打ち消しますが、他の人たちまでがそう言い出したとき、ペトロはまたも打ち消します。すると鶏が鳴いたのでした。
 鶏が鳴く、つまり夜明けのことです。つまり主イエスはペトロに対して、あなたは私と一緒に牢にも入るし、死んでもかまわないなどと誓っているが、そのようなあなたの約束は夜明けまでも持ちませんよ、と言っておられるのです。正しくあろうとしても、主に従おうとしても、人間の願いとか決意というのは、神さまの前にまことに弱いものなのですよ、主イエスが言われたのはそういうことです。でも、弱いからダメだとか、あれができないからこれができないからと、弟子であることを辞めさせるのではなく、愛を注がれ、用いられたのです。
 そして主は言われます。「わたしは、あなたのために、信仰が無くならないように祈った。」しかもそればかりではありません。主は言われました。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」あなたはわたしを裏切るようなことをするだろう、あなたは自分の弱さを知り、激しく泣くに違いない、でも、そんなあなたも立ち直ることができるのだ、その時、兄弟たちを力づける者になりなさいとおっしゃってくださっているのです。
 主ご自身が、ペトロのために、そしてわたしたちのために、祈ってくださっている。そして、「あなたは立ち直ることができるのだ」と、今まさに裏切ろうとしてる者に向かって、弱さをいっぱい抱えたわたいたちに向かって、励ましを与えてくださっているのです。
 そしてこのように言ってくださった主イエスご自身は、この後、十字架につかれたのでありますが、3日目に復活の栄光を現されたことをわたしたちは聞いています。主が言われる「立ち直り」とは、つまずいた過去のように生きることではなく、新しい命に生きることにほかなりません。
 これは、なんという慰め、なんという力強さでしょうか。誰もがこの箇所を読んで、ペトロの弱さを知ってくださっている主イエスの愛を思い、そのことを自分自身の生活、また自分自身の信仰生活と重ね合わせて読んで来られたことと思います。そしてわたし自身も、主イエスがわたしたちの弱さを知りつつ、愛を注いでくださっていること、その愛によってわたしたちは立ち直ることができる、新しく生きることができる。このように受け止めてきました。それは間違いのないことです。でもそれでも、どちらかと言えば、ペトロの裏切りという極めて特殊な状況での話として読んできたように思います。
 でも、今回、コロナウイルスによる感染がわたしたちを不安に陥れているこの時に、この箇所を改めて読んでみて思ったことは、主イエスのこれらの言葉は、今のわたしたちの日常生活の中にあっても、語りかけられているのだということでした。
 少しばかりこの箇所の解説をすれば、31節で主は、「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」と言っておられます。これは具体的には初代教会を襲った迫害、信仰を持つことさえ困難となった迫害のことと考えられます。迫害を神さまから与えられた試練のときと受け止め、この時こそ、神さまに立ち返っていくべきときとして語られているのです。
 そして、神はわたしたちが信仰を持って過ごすことができるように祈ってくださっている。たとえ倒れることがあっても、立ち直る時を与えられ、その時には、兄弟たちを力づけ、互いに支え合い、互いに力づけあって歩むようにと、励ましてくださっているのです。
 感染症に対しては「正しく恐れる」と言われるように、最大限の注意を対策をしなければならなでしょう。しかし他の人や国との行き来を断ち切り、無菌室に入らなければならなくなっているような今こそ、「人間を超えた存在を意識し、おそれ、驚嘆する感性」を取り戻さなければなりません。わたしたちが教会でいつも語っている言葉で言えば、悔い改め、神のことを思い、神をおそれ、神のなさることの素晴らしさに感動する心を大切にするということです。
 そして今この受難のとき、試練のときにあたって、主イエスは、あなたがたの信仰がなくならないように祈っていると言ってくださっています。弱さを思い知らされるわたしたちに、主は立ち直ることができるのだよと言ってくださっています。そして、立ち直ったら、互いに励まし合いなさいと、祈りを熱くしてくださっています。
 祈ります。神さま。主イエス・キリストは弱き心、傷ついた魂のもとに近づいてくださいました。無に等しいものをあえて招き、信仰が無くならないように祈ってくださり、過ちを犯してもそれを赦してくださり、立ち直り、新しく生きるように励ましてくださっています。そしてそのためにご自身は十字架への道を歩まれました。深い感謝と喜びをもって、主イエスの歩まれた道をたどるわたしたちとしてください。互いに励ましあって生きていくことができますように。




(2020年3月 29日 高槻日吉台教会朝礼拝)



「すべての人が救われる」
(小笠原牧師)

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日時 2019年6月30日
   聖霊降臨節第4主日
聖書箇所 使徒11章4-18節
賛美歌  17/461/453 
交読     詩編113
説教者  小笠原純牧師(高槻日吉台教会・朝礼拝)


 

 

わたしは2003年9月に高槻日吉台教会に赴任をいたしました。ですから15年と10ヶ月、この高槻日吉台教会で牧師として過ごしたということになります。ことしはわたしにとって記念の年です。伝道師として岡山教会に赴任したのが、1989年4月ですから、ちょうど働き始めて、30年の年となります。30年のうち、約16年が高槻日吉台教会での牧会となりますから、半分以上をこの高槻日吉台教会で牧会をしたことになります。娘たちも、高槻で大きくなりましたので、彼女たちにとりまして高槻は故郷ということでしょう。
わたしは後半は、副議長3年、議長5年と大阪教区の働きを8年間担いましたので、「大阪の小笠原」というふうに見られることも多くありました。「小笠原さんは大阪の人ですよね」と言われたりして、四国の伊予の人であるわたしは、「みんな意外にええかげんやなあ」と思っていました。しかしやはり高槻はわたしの街というふうに思っていましたし、大阪駅もよく通ったので、友人が送別会をしてくれるということでひさしぶりに大阪に出かけていって、大阪駅を通りながら、この風景を自分の街として感じるというのは、もうないのだなあと思うと、とても寂しい気がいたしました。京都から大阪ですから、大した距離ではないわけですが、不思議なものだと思います。
40代から50代前半という、働き盛りという年代を高槻日吉台教会で牧師として過ごすことができたというのことは、とても幸せなことだったと思います。わたし自身はそんなに必死で働くのが良いというふうに思っているわけでもないのですが、それでも一生懸命によく働いたと思っていて、少しくらいは神さまからもほめていただけるのではないかと思っています。
とはいうものの、いろいろな失敗もあったなあと思います。引越の荷物などを整理していますと、「失敗したなあ」と思えるような出来事のファイルなども出てきて、すこしこころの痛い思いもいたしました。一生懸命にしていても、配慮が足りなかったり、誤解を生むような態度や言葉遣いなどをしてしまうということは、だれしもあります。はじめのボタンを掛け違うと、そのあといくら説明をしても、なかなか信じてもらうことができないというようなこともあります。ただそれはだれしも経験することですし、お互いに失敗を許しあうということは大切なことであるわけです。
二十世紀最高の宗教学者と言われたミルチャ・エリアーデは、キリスト教の特色についてこう言っています。【敗北を味わった逃亡者の一群が、イエスの復活に接して、もはや死も恐れぬ断固たる信仰集団に変容した点にこそキリスト教の特色がある】(西岡文彦『名画でみる聖書の世界』<新約編>、講談社)。キリスト教は敗北者の宗教です。裏切り、失敗し、挫折した者の宗教です。このことは、とても大切なことだと思います。
イエスさまが十字架につけられたとき、イエスさまのお弟子さんたちは、みなイエスさまから逃げてしまいました。「絶対に裏切りません」と言った使徒ペトロも、イエスさまのことを知らないと三度言いました。みんなイエスさまを裏切ったのでした。イエスさまのお弟子さんたちは、みな裏切り、失敗し、挫折しました。しかしその裏切り者であり、敗北を味わった逃亡者の群れが、イエスさまの復活に出会い、キリスト教を宣べ伝えたのでした。キリスト教は失敗者、裏切り者の宗教なのです。
みんなイエスさまを裏切ったということが、のちのキリスト教にとっては大切なことでした。みんなつまずいた者であり、信じることのできない者でした。そして罪深い者が、神さまの愛によって生かされているということが、何よりも大切なこととなったのでした。みな罪赦された者であるわけですから、互いに赦し合って生きていくということが、キリスト教の大前提になっているわけです。すべての人が救われるということが、初期のキリスト者の考え方でした。
しかしとは言うものの、人間というのは、そんなに簡単に分け隔てなく、他者に対してつきあえるというわけでもありません。すべての人が救われるというふうに思っていながら、しかし初期のキリスト者の間では、大きな問題を抱えていました。それが異邦人に対する差別の問題でありました。
使徒パウロは異邦人伝道を志していました。しかしエルサレムを中心としたキリスト者たちは、異邦人は割礼を受けなければ救われないという考え方をしていました。ユダヤ人キリスト者のなかでは、「異邦人も救われる」という考え方は、まだまだ受け入れがたい考え方であったのです。律法を守って、宗教的に食べられる食べ物と、食べられないものがある。汚れたものと、汚れていないものがあるという考え方が、まだまだユダヤ人キリスト者の中にはありました。異邦人とつき合うと汚れてしまうというふうに考えているユダヤ人キリスト者が、まだまだいたのです。
今日の聖書の箇所は、そうした問題について述べられている聖書の箇所です。使徒言行録11章1?3節にはこうあります。【さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上ってきたとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った】とあります。使徒ペトロは異邦人の人たちと一緒に食事をしたことを、人々から責められました。そこでペトロはそのことについて、説明をしました。
使徒言行録11章4ー10節にはこうあります。【そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました】。
この幻の話は、使徒言行録10章9節以下に記されている話です。天からペトロのところにある入れ物が下りてきました。そのなかを見てみると、律法で食べることを禁止されているものが入っていました。天からの声は、ペトロに「屠って食べなさい」と言います。しかしペトロは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません』。レビ記の11章には、「清いものと汚れたものに関する規定」という聖書の箇所があります。ユダヤの人々は、この規定を守って生活をしていました。しかし異邦人の人たちは、そうした規定を守っているわけではありません。ですから汚れているわけです。しかし天からの声はそうした今までの考え方をくつがえすものでした。『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』。ペトロからすればそれは驚くべき事であったと思います。
そしてそのあと、ペトロは異邦人が自分たちと同じように聖霊に満たされるという出来事に出会いました。使徒言行録11章11ー15節にはこうあります。【そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。すると、”霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです】。
カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人というのは、使徒言行録10章1節以下に出てくる百人隊長のコルネリウスたちのことです。コルネリウスたちは神さまの導きによって、ペトロのところにやってきたのでした。そしてペトロはコルネリウスたちの上に、聖霊が降るのをみたのです。その聖霊も【最初わたしたちの上に降ったように】降ったのでした。コルネリウスたちは異邦人であるわけですが、ペトロたちに降ったのと同じように、聖霊が降ったのです。
使徒言行録11章16-18節にはこうあります。【そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した】。
異邦人にも、自分と同じように聖霊がくだった。使徒パウロは「聖霊によって洗礼を受け」たのです。使徒ペトロは異邦人に自分と同じように聖霊が降ったのをみて、神さまが異邦人を悔い改めに導いたのに、自分たちが「あの人たちはキリスト者ではない」ということはできないと思いました。この話を聞いたユダヤ人キリスト者も、使徒ペトロと同じように、自分たちの考え方の狭さに気づかされました。そして彼らは悔い改めて、神さまが異邦人を悔い改めさせ、命を与えてくださったことを喜び、神さまを賛美いたしました。
このようなこともあって、異邦人もユダヤ人と同じように、神さまの御救いのうちに入れられていることが、だんだんと認められてくるわけです。しかしそれは簡単なことではありませんでした。ガラテヤの信徒への手紙には、異邦人と食事をするという問題で、使徒パウロが使徒ペトロを非難したという聖書の箇所があります。
ガラテヤの信徒への手紙2章11節以下には、「パウロ、ペトロを非難する」という表題の聖書の箇所があります。【さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました】。
使徒ペトロやは異邦人と一緒に食事をしていたのですが、エルサレムからきたユダヤ人キリスト者たちからの非難を恐れて、異邦人と一緒に食事をすることを止めてしまったのです。まあ、ペトロはなんともいくじのない人であるわけですが、このことでパウロはペトロを非難したのでした。ペトロ自身は異邦人と食事をするということが、キリスト者としておかしなことではないということをわかっているわけですが、しかしまだまだそのことは一般的なことではなかったので、ちょっとある種の配慮をしてしまったのです。なかなかむつかしい問題であったのでした。
キリスト者はときに「自分たちは特別だ」という考えに陥ることがあります。そして「あの人たちは・・・」という思いをもつことがあります。この異邦人キリスト者に対する差別の問題は、昔々の話というわけではありません。現代でも、ほんの数十年前でも同じような問題があったのでした。アメリカの白人キリスト者たちは、自分たちが特別だと思っていました。そして黒人のキリスト者を差別していました。これは2000年前の出来事ではなくて、40年くらい前の出来事です。
ブラジルの教育学者であり、『被抑圧者の教育学』という有名な教育学の本を書いている、パウロ・フレイレという人の『希望の教育学』(太郎次郎社)という本を読んでいましたら、こんなことが書かれてありました。【ぼくと同じように人種差別を憎んでいる南アの白人や南ア在留者たちから、ぼくは信じられないような差別の実例を数かぎりなく聞かされたのであった。黒人からも、同じような話を聞かされた。ある黒人の青年の言葉を聞いて、ぼくは驚きのあまり、しばし自分の耳を疑った。「ぼくたちはね、<わが神>と言ってはいけないんですよ。白人のまえでは」と、クリスチャンであるその青年はいうのだ。「白人のまえでは、<あなたがたの神>と言わなければいけないのです」】。
南アフリカ共和国では、アパルトヘイトという人種隔離政策が行われていました。南アフリカの少数の白人が、非白人を差別していました。【1991年6月デ・クラーク大統領はついにアパルトヘイト全廃に踏み切った。1994年4月に初の全人種選挙で成立したマンデラ政権のもとで,ポスト・アパルトヘイト社会の構築が開始された】(マイペディア)。ほんの三十数年前までは、南アフリカの黒人キリスト者は、「ぼくたちはね、<わが神>と言ってはいけないんですよ。白人のまえでは」「白人のまえでは、<あなたがたの神>と言わなければいけないのです」】ということを強いられていたのです。
ひるがえって、私たちの国のことを考えてみても、いまなお、北朝鮮関連で、不快な出来事が起こると、在日朝鮮人に対するあからさまな暴言や差別事件が起こったりします。それはいまも私たちの国が抱える問題であるわけです。
私たちはいつも信仰において、自分が特別であると思い込んでしまう傾向を持っています。だれも「わたしが正しい」と思ってしまうわけです。ユダヤ人キリスト者もそうでしたし、アメリカの白人キリスト者もそうでしたし、南アフリカの白人キリスト者もそうでした。そしてまた私たちも同じように、「自分が正しい」と思い込んでしまうことがあります。
そんな私たちに対して、イエスさまは「人を裁くな」と教えてくださいました。ルカによる福音書6章37-38節にはこうあります。【「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである」】。
そしてイエスさまはこう言われました。【あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる」】(LK0641-0642)。
わたしが保育園の園長をしていたときですが、保育園の子どもたちの中に、とても世話好きの子がいました。「世話好き」と言えば、聞こえが言いわけですが、自分のことができていないのに、他の子がしていることが気になったりするわけです。「せんせい、○○くんが、着替えた服をお着替え袋にちゃんといれてないよ」と、先生のところにご注進に来てくれたりします。でも自分はプールから出てきて裸のままでだったりします。あるいはだれかがイスから立ってどこかに行こうとしていると、「△△ちゃん、たっちゃだめ、ここにすわりなさい」と、わざわざ自分が立っていって、席に座らそうとしたりします。「たっとんのはあんたや」ということになるわけです。
私たちもこうした保育園の世話好きのお友だちと同じように、目の中に丸太があるにも関わらず、人の目の中のおが屑が気になって気になってしょうがないということがあります。しかし信仰にとって大切なことは、「あの人が・・・どうこう」ということではなく、「罪人のわたしが救われた」という恵みが大切なことなのです。私たちは「あの人が・・・」ということが気になって気になってしょうがないわけですが、しかし「罪人のわたしが救われた」ということに立ち返らなければならないのです。エリアーデが【敗北を味わった逃亡者の一群が、イエスの復活に接して、もはや死も恐れぬ断固たる信仰集団に変容した点にこそキリスト教の特色がある】と言っているように、キリスト者は「敗北を味わった逃亡者の一群」であり、その罪人のわたしが赦された、「罪人のわたしが救われた」ということが大切なことであるのです。
【神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ】ということは、「あの罪深い異邦人も救われるのだ」ということではありません。私たちは救われて当然だけれども、神さまはすばらしい方だから、あの罪深い異邦人も救ってくださるんだということではありません。【神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ】ということは、それは神さまの救いはすべての人に及んでいるということです。
「すべての人が救われる」ということは、どういうことでしょうか。それは、「ああ、あの罪人であるあの人も救われるんだ。神さま、ありがとう」ということではありません。そうではなくて、「すべての人が救われるのであれば、罪人であるわたしも救っていただける」ということなのです。「すべての人が救われるのであれば、罪人であるわたしも救っていただける」。
敗北を味わった逃亡者の一群が、「こんなわたしも救っていただける」との喜びに満たされて、すべての人に神さまの愛を告げ知らせていくことによって、キリスト教は世界に広まっていきました。憐れみ深い神さまがおられます。私たちを愛して、愛してやまない、憐れみ深い神さまがおられます。
神さまは罪深い「わたし」を救ってくださいました。その深い愛に感謝して歩んでいきましょう。



(2019年6月30日高槻日吉台教会朝礼拝)



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